「猫を捨ててこい。そしたら結婚してやる」。そう言って私にものの見事にフラれた元カレとは、実は今も会う機会がある。勤めている会社はもちろん違うが、職種が一緒なので偶然顔を会わせることが多々あるのだ。そのたびに食事に誘われたり高そうなダイヤの指輪をプレゼントされたりと、非常にしつこかった。今でも「なぜ猫ではなく自分が捨てられた」のか、その理由を理解していないらしい。仕事中なので適当にあしらってはいたが、本当にしつこかった。


 

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「猫捨てろだなんていう生ゴミ野郎とは付き合ってられない。燃やすぞ」と何度も何度も何度も何度も伝えているのだが、通じない。心底疲れた。

しかし……。7カ月前からそうした行為がピタリととまった。私が壮絶なまでの拒絶をしたからではない。あることに関する質問が突如として激増したためだ。

滝のような質問の数々

「3種混合ワクチンじゃなくて5種混合のほうがいいかな」「あのさ、モンプチよりも味がいいものってさすがにないの?」「動物病院選ぶときって何を基準にしてる?」「歯磨きって週に一回じゃ少ない?」「ロイカナとヒルズどっちがオススメ?」「タワーって危なくない?落ちてケガしたりしない?」「ひと月の貯金って2万じゃ少ないかな」「お水の取替えは一日に2回じゃ不衛生?」「目の色が青じゃなくて黄色になったんだけどこれって病気じゃないよね?」などなど……。



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さすがに「総合栄養食って何?」と聞かれた時は「そんな基本的なことも知らねーなら猫なんか飼うんじゃねーよ!!」と怒りのあまり思わず叫びそうになったが、まぁなんだ、これらの質問を見てすぐにわかる通りだが、今彼は猫と一緒に暮らしているのだそうだ。私に「猫を捨ててこい」とのたまったあの彼が。

オウムを飼っていた彼

彼はもともと、オウムを飼っていた。やけにでっかくて白いオウムだ。ものすごくお喋りで、よくあいさつをしてくれた。「こんにちは」と話しかけられ、私がちょっとイジワルして「こんばんは」と返事をすると「ん?」と声を発した。私が改めて「こんにちは」と正しいあいさつを返すと、オウムは「はい、こんにちは!」と元気よくあいさつしてくれたものだった。

しかし、あいさつをするのが大好きすぎて、かなりしつこかった。途中から私が返事をしなくなると、いきなり「ぶす!!!」と叫びだすくらいあいさつが好きなオウムだった。

猫は人を変える

オウムの寿命は非常に長い。なのでもちろん、今もそのオウムは元気に生きている。オウムの世話は大変だが、すごく楽しいと彼は語っていた。それでは、そんな彼が何故猫といっしょに暮らし始めたのか。

よくある話かもしれないが、妊娠中のメス猫が彼のアパートの裏で子猫を産んだらしい。すぐに母親は引っ越しをしたらしいのだが、一匹だけ連れて行くのを忘れられた子がいたという。

彼は、「くさい!」「汚い!」「けがらわしい!」と当初は思ったらしいが、しかしそのまま放置すれば確実に子猫は死ぬ。彼は、「もしこの猫が死んだらアパートの前に汚らしい死骸がある朝ポトリと落ちているのかもしれないと思った」(原文ママ)という。この言い草にもかなりカチンときたが、「それで?」と続きを聞いてみたら、「里親を探そうと思った」んだそうだ。

で、その後はこれまたよくあるうれしいお話。「世話をしていたら情がうつった」とのこと。その子猫は女の子で、名前は「もも」ちゃん。由来を聞いてみたら「ピンクの鼻が桃みたいにキレイだったから」と言っていた。ということは多分、シャンプータオルか何かできちんと体をキレイにしてあげたのだろう。

エッセイを書こうと思ったきっかけ

この子猫置き忘れ事件で、彼が私と同じ猫バカになったことが、このエッセイ「結婚の条件は、猫を捨てることだった」を書こうと思ったきっかけだった。今では彼もオウムも猫も、お互いの存在に慣れ、3人で仲良く暮らしているらしい。特にオウムは、時々眠っている猫のお腹をぽんぽんとさするくらいは、このももちゃんに慣れてくれているという。

正直、「猫を捨ててこい」だなんて簡単に本気で言うようなゴミ人間に、まともに猫が育てられるのか、この猫のことを幸せにできるのか、心底、本当に心底疑問だった。ももちゃんなんて名前をつけて懸命に世話をしているのかもしれないが、いつかももちゃんを何のためらいもなく捨てるんじゃないか、全力で疑っていた。

でもまぁ、この猫に関する質問の数々を省みてみると、多分心配はないのだろう。特に、「タワーって危なくない?落ちてケガしたりしない?」だなんていう質問は、よほど過保護でない限りはでてこない質問だ。真剣にこの子のことを考えている人に向かって、「本当にももちゃんを幸せにできるの?」なんて、私のような外野が口出ししていいことではない。

野良出身であるももちゃんは、猫エイズのキャリアだそうだ。病院での検査で発覚したとのこと。だから余計に、健康面では普通の猫ちゃん以上に気を使わなければならない。「獣医学の学士号取りたい……」と彼が小さくもらすくらいなのだから、本当にももちゃんのことを大切に思っているのだろう。一生発症せず、元気に暮らせるよう、心から祈るばかりである。

猫って、人を変えるのだ

……先日、彼にぽつりと「猫っていいね」と言われた。多分、不器用な彼なりの「あの時はゴメン」という意味なのだろう。

今回で連載「結婚の条件は、猫を捨てることだった」は最終回。この連載で一番書きたかったのは、この最終回なのだ。……まぁなんだ、何はともあれ、「猫は人を変える」のである。

おまけ

最後に一つ。「こんにちは」しか言えなかった彼の家のあのオウム。全く他の言葉を覚えなかったが、最近ひとつだけ、やっとレパートリーが増えたらしい。それは、「ももちゃんだいすき」。

……普段彼がどんなセリフを自室で発しているのか、手に取るようにわかる後日談だと思った。