初代の猫がわずか生後6カ月で虹の橋を渡ってからというもの、私は猫を見るのがつらくなってしまい、大の猫嫌いとなった。「猫なんか、二度と飼うもんか」。そう思っていたはずなのに…。

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徐々に「どうしてももう一度猫と暮らしたい」と思い始め、我が家に2人目の猫がやってきた。リクと名づけられた小さな子猫。毎日が本当に幸せだった。しかも、それからわずか半年後。亡くなった初代の猫にそっくりな猫と出会った私は、さらにもう1人、猫を迎えることとなったのだった。3人目となるその子猫には、初代と同じ名前である「ハル」という名前をつけた。

猫嫌いになった私が、新たに2人の猫を迎えただけでも驚きだったが…。それからわずか9カ月後…。私はまたもや猫と出会うことになるのだった。近所のゴミ捨て場で死にかけていた小さな小さな捨て猫。この猫こそが、何を隠そう先日ネットで一世を風靡したあの「ケツドライヤー猫」なのだった。


雑巾が、動いた

あれは忘れもしない、2012年の6月28日のこと。仕事に行こうと会社を出て、駅までの道を歩いていた。マンションのゴミ捨て場が見えてきた頃、道端に汚い雑巾が落ちていた。雨が降った次の日だったので、誰かが転んだら危ないと思い、ゴミ捨て場のほうに寄せようとかがんだ瞬間のことだった。

雑巾が動いたのだ。すすだらけの真っ黒なその塊は、よく見ると猫耳がついていた。…生きている。私が生まれて初めて捨て猫を見た瞬間だった。

目はぐちゃぐちゃにつぶれ、右足にはカラスにでもつつかれたのかひどいキズを負っていた。どういう柄なのかわからないくらい体が汚れていて、動き方もひどくおかしかった。明らかに死にかけているのがすぐにわかった。

その瞬間、今まで生きてきた中で一番頭を使ったと思う。「捨て猫?」「すごく小さい」「このままここにいたら、あっという間に車にひかれる」「今見捨てたら絶対にこの子は生きていけない」「でもうちには猫がもう2人もいるし」「お世話なんかできるのか?」などなど…。

「きっと、優しい人が拾って、病院に連れてってくれて、一生を家猫として幸せに生きるだろう」。そう思って見て見ぬふりをして、駅へと向かった。

わずか30秒でUターン

駅へと向かう間、考えていた。「ご飯代があと月2,000円プラスすればお世話できる」「猫砂も今使ってるのは498円だから大して問題ない」「毎月積み立てている猫用貯金も2万から3万にすればOKだな」「部屋も今3部屋あるし、もし全員病気になっても隔離できる」「何て名前にしようかな」「新しくおもちゃ買わないと」など…。もううちの子にする気満々だった。

頭の中でフルスピードで思考実験を行い、私の脳が出した結論は「飼 え る」だった。

急いでゴミ捨て場に戻った。あの時の私だったらボルトすら追い抜く自信があった。しかし、戻ってみると、子猫がいなかった。「まさか車にひかれたのか?」と一瞬ヒヤリとしたが、ゴミ捨て場の裏にいた。2~3分ほど追い掛け回し、やっと捕まえた。

…猫を見て、「心から触りたくない」と思ったのは初めてだった。それくらい汚かった。早くきれいにしてあげたい、体がこんなんじゃ気持ち悪いだろうなと本当にかわいそうだった。

右手で子猫をつかみ、ダッシュで家に戻った。戻る最中、駅へと向かうサラリーマンやOLとすれちがった。みんな、すごい形相で走る私の顔と、私の右手につかまっている子猫を見て少々仰天していた。

「あと30分到着が遅れていたら絶対に死んでいた」

自宅に戻り、うちの三男が使っているキャリーケースに猫を入れた。自転車で爆走し、いつもお世話になっている動物病院に向かった。開院時間だったので、誰もいなかった。急いで先生に事情を説明し、なんとか助けてほしいとお願いした。

1時間ほどで処置は完了。子猫は無事に助かった。先生は、「あと30分到着が遅れていたら絶対に死んでいた」と言っていた。一通り、子猫の状態に関する説明を受けて、先生が言った。「飼いますか?」と。

「飼う覚悟で拾いました」と答えた。先生はすごくニコニコしていた。

家に帰って、すぐに和室に子猫を隔離した。もしかしたら猫風邪のウイルスを持っているかもしれないといわれたので、完全隔離で世話をするよう先生に言われていたのだった。




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警戒しまくる子猫

その日は、その後会社に行って、早めに帰ってきた。子猫にご飯をあげると、その子はまったくご飯を食べようとしなかった。怖がらせないよう、かなりゆっくり手を差し伸べると、小さな体をふくらませて「フーッ」と威嚇した。これまでどれほど過酷な環境で生きてきたんだろうと思うと、涙がでそうだった。

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「もう、大丈夫だよー」「おいしいご飯も、新鮮なお水も、安心して眠れるベッドも買ってきたよ」「もう誰もいじめる人はいないよー」「生まれてからこれまですごく大変だったかもしれないけど、君はこれから世界で一番幸せな猫になるんだよ」と、何度も何度も話しかけた。

私が見ているとご飯を食べないのかも、と思って席をはずしたが、それでもしばらく子猫はご飯を食べなかった。おしっことうんちは出ているようだったので、内臓は機能しているようだった。

実家に預けることにした

あまりに心配だったので、栃木の実家にいる母親に子猫を預けたいと思った。母親は、私と同じくペットロスが怖くて犬も猫も絶対に二度と飼わない、という信条の持ち主だった。なので、説得は少々大変だった。

なんとか説得し、実家に行くことになった。実家に向かう当日の朝、子猫をシャンプーした。ワクチンを打っていたので、接種当日には洗うことができなかったのだ。洗面台に猫を乗せ、温かなお湯で静かに洗った。てっきり泣き喚くかと思ったら、子猫はのどを鳴らして喜んでいた。気持ちよさそうに私の右手におでこをすり寄せる姿にはグッときた。

シャンプーを終え、キャリーケースに子猫を入れて、湘南新宿ラインに乗って日帰りで実家に帰った。この日は、あんなに警戒していたのに、なぜかキャリーの中で子猫はゴロゴロとのどを鳴らしていた。

無事に実家に到着。母親の口から出たのは「子猫大丈夫だった?」という第一声だった。おとなしくしていたので、「大丈夫だよ」と答えた。

キャリーの中の子猫の様子を見て、「そろそろ外に出して大丈夫かな」と判断し、初めて母親と子猫が対面する瞬間がやってきた。ところが、この時、子猫は私がシャンプーをしたのである程度はキレイになっていたが、顔面の目のキズがとてもひどかった。一見猫には見えないくらいひどい状態だった。母親が驚いて悲鳴をあげたりしないよう、あらかじめ「まだ顔がグチャグチャなんだけど、あんまりビックリしないでね」と伝えた。

…しかし、子猫を出した瞬間、母親が口にしたのは「かんわえええええええええええええ!!」という静かな絶叫だった。

「早く、一緒にお空が見えますように」という祈りをこめて

無事に対面も終わり、ほっと一息ついた。母親は、これから子猫をお世話するために、子猫専用の部屋を用意していた。5畳ほどのもの置き場。中には、ご飯のためのお皿や猫用トイレ、おもちゃなどがバッチリ用意されていた。

(ちなみに、母親に預けた当日の様子はブログで大量の写真つきで紹介してある)。

この子猫には、「空」という名前をつけた。私と初めて出会ったとき、ぐちゃぐちゃにつぶれた目で、空を見上げていた。「早く、一緒にお空が見えますように」という祈りをこめてつけた名前だった。

兄猫の名前は、「陸」。偶然にも対になっている名前となり、彼らに血はつながっていないが、なんとなく家族になった実感があってうれしかった。

空は、実家についてから初めてご飯を食べてくれた。あんなに威嚇ばっかりしていたのに、ご飯をモリモリ食べて、食べ終わると抱っこをせがんだ。抱き上げると、小さな声で「ンニャー」と鳴き、本当にかわいかった。小さな頭をなでてあげると目を閉じて気持ちよさそうにウットリとしていた。

なついてくれた時の実際の映像



うまく動画が再生できない場合はこちらから。(You Tubeサイトに飛びます)

一人、東京に戻った

母親に空をあずけ、一人で東京に戻った。東京に戻り、自宅の和室に入ろうとした瞬間、自分がドアを開けるスピードがとても遅いことに気がついた。ドアの向こうにいる小さな空が怪我をしないよう、ゆっくりとドアを開ける癖だけが残っていた。もう空はいないのに癖だけが残っていて、ちょっとさびしかった。

子猫に、メロメロ

次の日から、母親からの育児メールがたくさん届いた。今日食べたもの、遊んだおもちゃ、新しくできるようになったことなどなど…。親バカ全開の内容だった。添付されていた空の写真がすべてブレていて、これには参ったが、まぁ空が元気な証拠だと思って受け取っておいた。

父親からもメールがきた。ずっと猫を迎えたいと思っていた父親は、空がやってきてとても喜んでいた。でも、そのメールの内容がかわいそうだった。

父「空は、今日階段をのぼれるようになりました。お父さんのところには、全然来ませんでした」
父「空は、今日からカリカリに挑戦しました。お父さんのところには、全然来ませんでした」
父「空は、今日かりんとうのようなとてもいいウンチをしました。お父さんのところには、全然来ませんでした」

という感じだった。

無事に成長した空

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こうして空は、大都会栃木の実家で、すくすくと育てられたのだった。最初、空が立派に成猫になったら私が引き取るつもりだった。しかし、実家で洪水のような愛情を受けて育った空を、私が引き取るのはもう無理だった。母親がそんなことは絶対に許さなかった。こうして実家の愛猫として君臨した空は、立派に成長し、拾った当時わずか400グラムだった体重を5.2キロにまで増やしたのだった。

母親は、空と暮らし始めてからほどなくして猫ブログを立ち上げ、2~3日に一度更新をしていた。タイトルは、「捨て猫そらの日常」。今では一日に数千人の人が訪れる大規模なブログになっているようで、空のことを可愛がってもらっているようで、私もなんだかうれしい気持ちになる。

ケツドライヤー猫としてデビュー

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そして昨年は、「ケツドライヤー猫」として大ブレイク。実家の家族になってから半年後、母親は空をペット専門美容室に連れて行った。美容室では、シャンプーとブロー、ブラッシングなど、様々な施術が行われるそうだが、施術も終わりに近づいた頃、その瞬間はやってきた。動物用のドライヤーで温風をお尻に当てられた際、空は驚いてしまい大きく「ンニャー」と鳴いたのだった。その様子を、母親がガラスの外から撮影。ケツドライヤー猫が誕生した瞬間だった。

次回、最終回

こうして私は、亡くなった長男ハル、次男リク、三男ハル、四男ソラと出会ったのだった。次回はこの連載の最終回。猫に対する心からの愛を語って、終わろうと思う(続く)。





捨て猫そらがやってきた

 
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二人のママさん



( ・ω・)<もう一つの漫画は、サイレント漫画。

今ご紹介した漫画とは異なり、空ちゃんの視点で描いてみました。


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 猫なんか、二度と飼うもんか -5- fin 

【最終回へ続く】